2005年12月30日金曜日

忘年会

大学のときの仲間で毎年あつまるのである。別にとりたてて楽しみにしてるわけでもなく、実際とりたてて楽しいわけでもないんだけど、毎年やってる。おたがい何の仕事をしてんのかもわかってないのである。「え?すごーい!曲芸やってるの?テレビとか出るの、テレビ」といった展開も当然ない...

チョットぐらいは凄いって言えよ。

2005年12月28日水曜日

あと3日ですか

もう今年の楽しみは、小川VS吉田を残すのみ。個人的には小川に勝って欲しいのですが...ズバリ、吉田の勝ちとみた。っていうか、判定決着だけはやめてくれ。もし時間切れなら、そのまま引き分けでいいよ。
まだ夏のイタリアのギャラ、2400ユーロが振り込まれてねぇ!そこのオフィス、ノンキにクリスマスメールなんか送ってきやがった。そんなもんより、はよカネ送らんかい!

2005年12月12日月曜日

ん~風邪、ひいた

埼玉県加須市「むさしの村」での、のべ九日間の連続した仕事の最終日。農協関連のお仕事なので、ギャラは野菜の現物支給。ウソ。でも、大量のイモ、ネギ、ダイコン等を頂きました。ご一緒させていただいた歌手、北見恭子さんの「おんなの春」、これ、いい曲よ。

2005年11月16日水曜日

エディ・ゲレロ、急死

いやー、ビックリ。月曜の夜中にプロレスの掲示板みて知りました。38歳って書いてあったけど、もっといってると思ってた。やっぱ、アル中やらなんやらで、身体ボロボロだったのかね。プロレスもコントも上手かったのに。合掌

2005年11月14日月曜日

満員電車で

他人の体が当たるのが嫌なら、タクシーにでも乗れや、この腐れビンボー人が!

2005年10月30日日曜日

2日連続で

晴海トリトンで大道芸。ん~大道芸のやり方、忘れたかも。さっぱり。こりゃ、本格的にヤバイね。3日の横浜アットはもうちょっと何とかしたいもんだね。まだ、海外ボケなのかな~。

2005年10月29日土曜日

久しぶりに

晴海トリトンで大道芸。一人で大道芸をやるのは帰国以来初めてだね、そういえば。さっぱりでした。んで、速攻移動して、宝仙と合流。箱根の山奥の旅館でロシア人の宴会の余興。これまた、出だしでリズム掴み損ねて、どうもね。いや、ちょっと最近チョウシ悪いね。ここの旅館、凄いよ。谷底みたいなとこにあって、旅館専用ロープウェイを使わなきゃ玄関まで行けないの。雰囲気いいんだけど、帰りの電車、ギリギリですよ。泊めてくれっての。

2005年9月19日月曜日

今日も今日とて大道芸

「敬老の日」って15日固定じゃなくなってたんですね。知らんかった。てなわけで、昨日と同じスケジュールで働く働く。稼ぐ稼ぐ。咽喉、痛いの~。いまこのブログを書いてて発見。「喉」も「のど」、「咽」も「のど」、なんと「咽喉」も「のど」である。知ってた?

2005年9月18日日曜日

浜離宮

てなわけで、肝心の旅日記ですが・・・スンマセン、おいおい追加します。いやホント、ネタはいっぱいあるのよ。んで、帰国翌日から時差ボケもなんのその、浜離宮で社中の皆と大道芸。声が出なーい!寝不足のせいか、この三箇月間はずっとマイクを使ってたせいか、はたまた「ミラノ事件」(詳細は後日報告!)のせいか。天気も良く、お客さんもいっぱい。っていうか、東京、まだ暑いよ!12時から5時までの毎時、計6回ショー。やっぱり、東京のお客さん、いや、お客さまはお金持ちでございます。

2005年9月17日土曜日

着いたよん

ようやく成田到着~。暗くなってからの着陸は久しぶりだわ。球場が二つ見えたけど、あれ何処?最近知ったのですが、アメックスの会員サービスでスーツケース無料宅配ってのがあるのよ。ああいうのって、あんまり大きく宣伝してないよね。当然利用しました。いやーくたびれた。この一週間はひたすら移動だったもんね。しばらく何もしたくない~。が、しかーし!早速明日から大道芸三昧なのであった。とりあえず寝よ。

2005年8月18日木曜日

長かったよ~

イタリア・ミラノからオランダ・ロッテルダムまで21時間のバスの旅でした。途中、フランス・パリとベルギー・ブリュッセルを経由したんだけど、何だか、そんなとこ通ったような感じ、全然しなかったよ。エッフェル塔とか見えなかったし。そんでもってバス停からホテルまで歩いてる最中に最悪の事態発生!スーツケースの車輪が片方、壊れました。キャリーの取手の部分も既にイタリアで壊れてたので、もう、こりゃダメですわ。まだ買ったばっかりなのよ。3万5千円くらいしたのよ。こっちで新しいのを買おうかとも思ったけど、さすがにもったいなので、キャリーだけ買うことに。いや、ロッテルダム、便利な都会でよかったよ。これ、イタリアの田舎だったら、キャリーを売ってる店、探すだけで一苦労よ。でも、教えてもらったカバン屋さん、夕方5時半で閉店でした。平日なのによ。もちょっと働けよ。

2005年8月15日月曜日

今日はホテルなのです

常宿のユース(一泊18.5ユーロ)が何故か今晩だけ満杯なのです。なんでだろうね。昨日・一昨日なんてかなり空いてたよ。しゃあないので中央駅構内の案内所でホテルを紹介してもらう。一番安いとこで40ユーロだって。「でも四つ星だよ。絶対お得だよ、これ」っていうから、そこにする。駅からすぐだし、朝10時からチェックインできたし。部屋に入ってドアに貼ってある料金見たら通常料金は一泊215ユーロだって!なんでそれが40ユーロになるんだろうね。ネットも24時間6ユーロで使い放題。良心的な値段設定である。てなわけでブログを3日分だけ更新。んでもって、今日の分。正直、これ、毎日書き溜めてるわけじゃないの。いま一生懸命に過去一箇月の記憶をさかのぼってるとこなの。いわゆる「夏休みの絵日記、最終日にまとめて」状態ですな。いやしかし、やっぱホテルは快適ですわ。

2005年7月27日水曜日

マジ、暑いぞ!

これ、ぜったい東京より暑いよ。ユースホステル、暑くて寝れないもん。去年の12月に来たときはあんなに寒かったのに。夏と冬の気温差にビックリよ。

2005年7月26日火曜日

んで、またイタリアへ

サブリミット&鶴岡氏と別れて、電車でミラノに移動。途中ヴェネツィアで乗り換えたときに、「あぁ、イタリアだ」って思ったね。別にイタリアの悪口言いたいワケじゃないけどさ、とりあえず、駅にエレベーターどころかエスカレーターも、それどころかスロープの類も無い。とりあえず、ん~ハッキリ言って、いろんなものがとりあえず、汚い。んでもって、暑い!ミラノってイタリアの中でも都会のイメージがあるけど、とりあえず地下鉄に冷房いれろや!イタリアって、ヨーロッパの先進国っていうよりも、むしろアジアの発展途上国の雰囲気全開なのよね。日本の「置いてある週間ジャンプが黄色くなってるラーメン屋」に入れないタイプの女性には全くお勧めできない旅行先です。ま、さすがに慣れたけどさ。

2005年7月25日月曜日

ここは2日間のみなのよ

昨日会ったニホンジンの若いお母さんが凍らした麦茶を差し入れしてくれました。よく部活に持ってったヤツ。日本の夏を体感したのであった。2日目のクジ運は最悪だったので、おミソな場所しか残ってなかったの。かなり辛い場所もありましたが、最終回は何となくカタチになったので良しとする。ちなみに、ドイツ語圏でのキメ台詞。僕が技を決めるごとに「Klasse!」って言うとお客さんが「Mega klasse!」と返すのです。意味はよく解らんが、おそらく「イカす!チョーイカす!」ってな感じだと思うよ。とりあえず、本日でドイツ語圏でのパフォーマンスは終了。最後に恒例のグループショーがあったのですが、僕は参加せずにビール飲みながらの鑑賞。たまには客として普通に楽しみたいよね。

2005年7月24日日曜日

やっぱり、運って大事ね

ここのやり方は、場所を選ぶ順番も自力で引き当てるので、まぁ、完全に運が試されるわけですな。初日の番号は良かったの。だから、メイン(と思われる場所)を取ったのよ。だけど、あれだね。隣のポイントで同じ時間にどんな芸人が演るかってのも重要なのね。で、思ったのは、現時点での「究極の大道芸」は「高い一輪車の上でトーチ」、だね。日本に帰ったら、倉庫に眠ってる一輪車でさっそく練習することを誓ったのであった。ウソ。ここはリンツと比べると、もう、ホント小さなフェスティバルなので人出もイマイチですが、とりあえず数こなしました。例によって3コマに6回ショー。そして再びサブリミット特製「茹でないソーメン」をご馳走になったのであった。あれ普通に食えますよね。

2005年7月23日土曜日

同じくオーストリア

フィラッハという町に鶴岡氏とともに電車で移動。マジ、小銭、重いよ。参加できるかできないかで最後まで交渉が難航していたサブリミットも合流。このときの連絡に初めてボーダーフォン3GのSMSが役に立ちました。だけど、一通100円は高いよな。ここのフェスティバルはリンツの出演者から一部を選抜?(っていうか希望した人)しておこなわれるのです。ここのマックにヘンテコなチャーハンみたいなのがあったよ。ニホンジン組は怪しのインド料理屋でカンパーイ!写真:山です

2005年7月22日金曜日

早くも最終日

やっぱ、3日間ってのは短いね。この日はイイ場所、取れましたよ!が、雨が降ってきたのよ~。「リンツのフェスティバルは良いぞ!」という評判をたくさんの芸人から聞いていたので、かなり期待してたのに、えー最終日が雨って・・・と思いきや、なんとか持ちなおした!2回目のショーのときに少し雨にやられたけど、その後はむしろ快晴!4コマ4時間なかで8回ショーを慣行。この日は盛り上がった、マジで。ちなみに、通常は投げ銭を紙幣に交換するには、自分でコインラップ(コインチューブ)っていうものに詰めて銀行に持っていくとかしなきゃなんないんだけど、ここのフェスティバルは本部にコイン自動数え機(ま、日本の銀行なら何処にでもあるヤツです。でも、ここのは相当、性能の悪いものでした)があって、その場で紙幣に替えてくれるんです。全部のショーが終わって後片付けもして、かなり手ごたえのある投げ銭袋を抱えて、両替コーナーの列に並んだの。最終日ということもあって、なかなか列が進まないの。二時間くらい待ったね。ファイアーショーの芸人が、これまた相当稼いでたのよ。んでさ、そいつらのゼニを数えてるときに、どうも両替係りの様子がおかしいわけ。そしたらさ、「両替用の紙幣が足りなくなった」っていうのよ。待て、待て、待てーい!!!足りなくなったなら、ウチらガイジンを優先せいんかい!っていうかEU人は札に替えんでもジャラ銭のままチマチマ使えば問題ないでしょうが。そいじゃなくても荷物、重いのにさ、この大量の金属片を抱えて次の町まで移動せいっちゅうんかい。お前のポケットマネーで何とかしろや!と、まぁ、ブチギレたいところではあったのですが、そこは既にヨーロッパ滞在1箇月経過で大人になった仙丸くん、中指を立てることもなく、あっさり諦めました。そしてホテルの部屋で独りニヤニヤしながら勘定したのであった。

2005年7月21日木曜日

ん~

この日は3日間の中で一番最悪の番号なの。よって当然、場所はイマイチ。んで、しゃぁないので、与えられた1コマ1時間の中で2回ショーをすることにする。というのも、これは僕のやり方がまずかったせいもあるんだけど、お客さんがやたらと近くに寄ってくるのよ。どうもマジックだと思う人が多いみたい。だから、観客の輪が小さくなっちゃって、すると当然、人数が限られてくるから、すると当然、ハットの入りも悪いわけですよ。確かにあんまり大きな輪をつくっても分かりづらい芸だとは思うけど。その辺のバランスがね。このフェスティバルのオーガナイザーもケチで、出演交渉の段階で、本来貰えるはずの日本からの飛行機代を「あんた、日本から直接来るんじゃないんでしょ?ドイツから来るんでしょ?じゃ、ドイツからの交通費しか出せないわ。どうしても日本からの飛行機代が欲しいっていうんなら、エントリーさせてあげない」と大幅に値切られたので、意地でも良いショーをして実績を残したいと思っていたんだけどね。んーイマイチ。写真:たぶんリンツで有名な教会

2005年7月20日水曜日

んで、リンツ初日ですが

ここのパフォーマンス・スケジュールはちょっと変わっていて、当日朝9時半に芸人全員が集まって、予め決められた順番に、自分の好きな場所・時間を選んでいくんです。ただ、この「予め決められた順番」ってのがクセモノで、結局、若い番号が指定されていないと自分の番が回ってきたときには、もう「オミソ」な場所しか残ってなかったりするのです。初日は良い番号ではなかったので、イマイチ。っていうかさー、トラム(路面電車)が通常通り運行してる状態の道路で演らせんなよな。お客さんの背中、思いっきりギリギリのところを電車が走ってんの。

2005年7月19日火曜日

あやしの日本食屋がいっぱいです

オマケに何とパチンコ屋!(写真)入ってみなかったけど、これっていわゆるプチ・カジノかしら。んで、この町はランチ食べ放題の店がいっぱいあるの。そのなかから日本食(Made in China)の店をチョイス。もち、スシもあるよ!でも、シャリがデカい、っていうかズッシリ重いの。スシ以外はこりゃ中華ですな。当然といえば当然ですが。値段、忘れちゃったけど、8ユーロくらいじゃなかったかな。でも繁盛してたよ~。サブリミット、鶴岡氏と再び合流。そんでもって、がーまるちょばのお二人も参戦。他にもポーランドやらイタリアやらシンガポールやらで会った芸人さんがいっぱい。天気も良くなったし、明日から頑張るよん。

2005年7月18日月曜日

オーストリアだよん

朝刊に写真が出てた!たださ、いままで載った三紙とも土瓶の曲芸をやってるとこなの。あれって、表情つくってる余裕が無いのよ。「撮ります!」って言ってくれれば、まだ何とかなるんだけどさ、もう、とにかくマヌケな顔に写ってるわけですよ。サブリミット、鶴岡氏は他の町に寄ってくとのことで、単独でリンツ入り。電車で国境越えるとき、パスポートチェック無かったよ。オーストリアは8年前、ウィーンに2週間ほど滞在して以来。基本的に雰囲気はドイツと似てますな。とても機能的です。バスなんかも、バス停とバスが無線でつながってて、次のバスがあと何分で到着するかとかってのが表示されてます。東京でも一部やってますな。例によってユースホステル泊です。4人部屋のドミトリーなんだけど、なんと二泊とも他の宿泊者がいなかったため個室状態でした。そんなこともあるのね。んで、2日連続で一日中雨ですよ。大して外にも出ずにゴロゴロ。写真:オーストリア名物?シュニッツエル

2005年7月17日日曜日

ようやく調子が出てきたと思ったら

もう最終日なのよ。この日は暑かったね~。犬を使った芸をやる人が二組いた。日本の猿回しみたいな感じ。猿回しは欧米では動物虐待ということで非難されるという話を聞いたことがありますが、犬はいいのかしら。しかし、やっぱドイツ人はデカイね。この日は夕方に全てのショーが終了。なんとここのフェスティバルは日本人以外の芸人さんには最終日の晩のホテルがとってないのです。当然、打ち上げのようなものは無し。やっぱり、ドイツ人はケチなのでは?ニホンジンチームだけで乾杯~!写真:ドイツの小便器のこの網は何のため?

2005年7月16日土曜日

さすがに2日目は

土曜日だし盛り上がるでしょ。ただね~、一発目が朝10時(11時だったかな?忘れちゃった)って、早すぎるのよ。ウチらにとってもお客さんにとっても。ようやくフェスティバルらしい雰囲気になってきました!お客さんもそれなりに集まってきた!が、しかーし!ハッキリ言いましょう。ドイツ人はケチです。マジで。それなりに盛り上がってるのにな。んでもって、この日も夜遅くまで働かされて晩メシに間に合わず。サブリミットの部屋で非常食をいただく。何ていうんでしたっけ、あれ、お湯入れただけでゴハンができるやつ。そして、お二人が研究の末に編み出したという「茹でずに作るソーメン」を食す。そのほか機内食のパンやらなんやら、お二人はいっぱい隠し持ってました。満足、満足。明日も朝早いのよ。写真:サブリミット

2005年7月15日金曜日

で、初日です

鶴岡アキラ氏も合流。サブリミット、鶴岡氏とはこの後オーストリアでも一緒なのです。で、バンベルグ初日ですが、平日ということもあるけど、全然盛り上がんねぇ~。っていうか、フェスティバルっていうよりも、ホントに大道芸やってる感じ。なんだかこの町はいちおう観光地のようで、なんだか歴史的に有名な橋があって、その側でやってるんだけど・・・客、いねぇ。一回目はそれでも無理矢理やったけど、二回目は雨でキャンセル。でも正直、キャンセルになってよかったよ。だって、だって、ホントに辛かったのよ。んで、三回目は何故か大きなステージで。まぁまぁ盛り上がる。スタッフの女の子が「ホテルの夕食(ビュッフェ)の時間が終わっちゃう!急いで!」とのことで大慌てで車で送ってくれる。間に合ったけど、ぴり辛チキンウイングしか残ってなかったの・・・。辛いものは大好きなので、山のようにチキンを食らう。んで、当然ビールも飲む。やっぱヴァイセン・ビアですよ!ちなみにサブリミット・ガッツ氏は翌朝、ピリ辛(激辛?)チキンの復讐にあったとのこと。本人いわく「二度、楽しめた」そうです。

2005年7月14日木曜日

バンベルグってとこです

ミュンヘンからドイツの新幹線ICE(写真)で2時間半ほど。さすが、ドイツは違うね。荷物置き場にロックもあるし、いちいち停車駅のアナウンスや電光掲示板があるし。ここの名産に「ラオホ・ビア」っていう燻製ビールがあって、これ、8年前にドイツに来たとき飲んだんだけど、確か「かつお本ダシ麺ツユ」みたいな味がしたんだよね。あらためて飲んでみたけど、やっぱ、カツオだし、きいてました。ここのホテルはいいぞ!何がいいって、ネットにLANでつなぎ放題!サブリミット(注:知らない人のために念のため、日本人のアクロバットチームです)のお二人と合流。とりあえず乾杯~!

2005年7月13日水曜日

ミュンヘンで2日間の休憩

イタリア・ボローニャから深夜特急で移動。なんだか学生時代に利用した大垣行きの電車を思い出したよ。また、若い奴らがさー(って言ってる時点でオレ、オヤジ?)、てんで勝手に席、使って横になりやがってさー。アタマきたから、二席使ってるヤツ等の顔に足裏くっつけて寝てやったよ。やっぱドイツは落ちつくね。スーパー(っていうか、日本でいうところのヨーカドーや西友のようなタイプ)がいっぱいあるし、ビール、美味いし。つっても、1人でビアホールもね、なんだかね。とりあえず、ホフボロイハウス、行きました。これ、例の1リットルジョッキ。

2005年7月9日土曜日

マジ、切れたね

ここのイベントはハンドボールのワールドカップと共催で、なんと日本の夙川学園っていうとこの女子チームが準決勝まで残ってた!で、勝った!写真は決勝進出の瞬間。イマイチ、わかりづらいね。でさー、ここのボスがさー、約束の話し合いの時間に散々遅れた挙句、逆ギレしやがってさー、要するに日本でもアリガチなんだけどさ、こいつら芸人をリスペクトしてないわけよ。「お前ら、タダで何でも何処でも演るんだろ」ってことよ。マジ、これ、日本のアホなイベント主催者にもよくいるタイプね。「カネ、出すよ」っていう向こうからのメールも証拠として見せたのよ。っていうかさ、カネの問題だけじゃないのよ、ホント。「ファック!ブッ殺すぞ、このヤロウ!」って言ってやったね。僕としても、ここまで縺れちゃったからには、しゃあない、早めにドイツに移動するか、と思案の最中に携帯(イタリア用なの)に着信。サブボス?からで「ごめんなさい。ホント、ごめんなさい。あやまります。ウチのボスは今、家庭の問題で色々と・・・」って、知るか!家庭の問題を仕事に持ち込むなっての。んで、なんとかハナシがまとまって一応、っていうか、ちゃんと演りました。が、しかーし、僕は絶対にヤツの名前を忘れません。とっととドイツに移動してビール、飲も。ちなみに、夙川学園、優勝しちゃった!

2005年7月8日金曜日

二時間遅れでボローニャ到着

最初のバスに乗ってから24時間経過。こっから電車でテラモってとこまで。ここのフェスティバルがね、二週間ほど前からさっぱり連絡が途絶えてんだよね。それまではさ、向こうから返信をせっついてくるぐらいだったのに。とりあえず現場到着。結局ポーランドから30時間の大移動。そんで、オフィスに電話したら、もう、さっぱりハナシが通じないのよ。いや言葉が通じないっていう意味じゃなくて、「で、誰?」みたいな。ムチャ暑いしさ~。切れそうになるのを押えて、とりあえず事務所でボスにハナシをつけることに。このボスがさ~、とんだ食わせモンなのよ。いままでボス名義で全部のメールが来てたのよ。英語で。なのに「で、君、何する人?」みたいな。イタリア語で。英語、わかんないって。ようするに、イベントそのものは巨大なのにスタッフの数が足りてなくて、もう、みんなパニック状態なの。とりあえず、明日の朝にもう一度ハナシをすることに。

2005年7月7日木曜日

っていうか飲みすぎた!

やばい!もう10時過ぎ!12時のバスに乗んなきゃいけないのに、とりあえずウンコして、両替して、そんで、そんで、皆への挨拶もそこそこに大慌てでバス停へ。なんとかセーフ。こっからが長いのよ。バスでイタリア・ボローニャまで。途中何度か国境越え。たぶんポーランド-ドイツ-オーストリア-イタリアっていうルートだったと思うんだけど、正直、いまどの国を走ってんのか全然わかんなかったよ。んで、皆はEU人だからパスポートは見せるだけなんだけど、僕のだけ事務所に一旦持ってかれちゃうのよ。やっぱハンコ、押してんのかしら。どっかの国境近くに凄いドライブイン?があったよ。キングギドラみないな巨大なオブジェが三頭くらいあって、あれ、どこの国だったんだろ?雨が強かったのと眠かったのとで、残念ながら写真なし。

2005年7月6日水曜日

Zielona Gora

四都市目です。ここで2日間やって終わり。でも、雨なのよ。やってる最中に降ってきて最悪状態。新聞に出ました!二誌に。なんかポーランド語で僕のことについて書いてあるんだけど、当然わかりません。ここは2日間とも雨で何だか尻ツボミでありましたが、打ち上げ(っていうか毎日が打ち上げ状態なんですけどね)は当たり前のように、日の出まで。

2005年7月4日月曜日

いやースンマセン

移動日の午前中に郵便局に併設してあるネットコーナーでイタリア移動のためのバスチケットをオンライン購入して、いざチケットを印刷しようとしたら、担当の姉ちゃんが「ちょっと待ってて」と言ったっきり、いつまでたっても帰ってこないのよ。もう移動時間なのよ。現地スタッフも「何で客を待たせるんだ。オレは絶対にこの郵便局は二度と使わねぇ」と怒り心頭であるも、印刷しないとクレジット支払済みのチケットがパァになっちゃうので、皆でイライラしながら待つ。いわゆる「お役所仕事」ってやつですわ。なんとか印刷完了。芸人の皆さん、待たせて御免なさい。写真は昼飯。こっちは昼食が1日のメインなんだって。

2005年7月2日土曜日

んで、3都市目

こりゃまた小さい町です。Legnicaってとこ。旧共産圏の匂いが残ってますが、現在再開発の真っ最中って感じ。例によってショーの始めに「誰か有名な日本人を知ってるか?」とお客さんに尋ねたところ、なんと「ハンガーマン!」っていう声が!彼は去年参加して大きなインパクトを残したようです。ん、負けらんねぇ。センマル、センマルと連呼して刷り込み作業。ポーランド語は文法も発音もとても難しいのですが、きちんとした言葉をゆっくりしゃべればカタカタ読みでも通じるようです。僕のショーを見ていた現地芸人から「いつそんなにたくさんのポーランド語を覚えたんだ?!信じらんねぇ」という評価をいただく。他の芸人が「オレは知ってるぜ。日本人の集中力ってのはホント凄いんだ」とかって言ってたけど、っていうか、本に載ってたの、そのまま覚えただけなのよ。ジャパニーズ・ビジネスマン、カネのためなら何でもやりまっせ。ガキと一緒に記念撮影。

2005年6月30日木曜日

Wroclaw2日目

仕事で来ている日本人にも遭遇。それから、こっちでは一部マニアの間で日本のビジュアル系バンドが大人気。いまだにX Japanである。あと、浜崎あゆみ、モー娘も。が、あくまでも一部マニアの間で、ですよ。このフェスティバルは音楽系の芸人さんが多いのです。彼らはホントにカッコイイ。見た目はむしろダサいんですけど、何ていうか、生き方っていうか、憧れます。毎晩バーで三時ごろまで、かわりばんこに演奏してんの。一銭にもならないのによ。やりたがりにも程があるでしょうが。皆ホントに音楽が好きなのね。

2005年6月29日水曜日

二都市目

Wroclawっていう結構大きな町です(正確な綴りはLに斜線が入ります)。英語の出来るポーランド人にあれやこれやと聞きまくって、即席ポーランド語をショーでドンドン使うことにする。やはり、どの国の人達もガイジンが自分の国の言葉をしゃべると喜んでくれます。ん、調子が出てきた!数を重ねるごとにお客さんの反応も上向き。観光客も多くて、ユーロやらUSドルやらオーストラリアドルやら色々いただく。ちなみにこのフェスティバルには日本から、おじゃるず(今回は1号のみ)も参加。彼は2年前にも参加しているので色々と助けてもらう。あのビジュアルは美味しすぎる。

2005年6月28日火曜日

ポーランド「Busker Bus」

ここのフェスティバルは名前のとおりバスに芸人を乗せて数都市を移動していくんです。一発目はOlesnicaという小さい町。んで、どうもここの人達は音楽系以外の大道芸なんてほとんど見たこと無いみたい。英語も通じないので最初のショーはかなり悪戦苦闘。今回は時間が無くてポーランド語の口上が用意できなかったの。んで、物価が日本の三分の一ほど。バーで生ビール500mlが150円くらい。天国!・・・が、当然、ハットの入りも悪いわけですよ。こりゃ、儲かんねぇぞ。写真は泊まったホテル?昔のお城だって。

2005年6月27日月曜日

んで、ポーランドの現場到着

現場・・・だと思う。朝5時半到着予定が3時前に着いちゃったよ。っていうか普通は遅れるでしょ。迎えが来るまで2時間以上、知らない町で一人ぼっち。寒いっす。フェスティバルのポスター発見!(写真)この町で間違いないみたい。良かったよ~

2005年6月26日日曜日

んで、フランクフルト到着

すでに成田発から24時間経過。アジア経由便は時間がかかるの。朝6時前に着いてバスの出発が夕方5時前。何すりゃいいのよ。空港ロビーで時間つぶそうと思ったら職質?されたので、マックで休憩。さすがドイツ、当然ビールがおいてあります。んで、とりあえず中央駅に移動。写真はフランクフルト中央駅。

2005年6月25日土曜日

んで、乗り継ぎ

マレーシア・クアラルンプール空港はとてもきれいです。ワイヤレス接続の電波がロビーに漏れてて?ネットにタダでつなげます。US18ドルの有料ラウンジ(生飲み放題!)で時間つぶし。写真は今回の装備(成田で撮影)。このリュックが重いのよ。マジ、身長、縮みそう。

成田、すいてます

本日より渡欧である。約三箇月の長丁場である。まずは、成田からマレーシア・クアラルンプールを経由してドイツ・フランクフルトへ。着くのが現地時間日曜の早朝。んでもって、その日の夕方に長距離バスに乗って、ポーランドのOlesnicaってとこに。読み方がわからん。オレスニカでいいのか?そこに着くのが現地時間月曜早朝。日本時間のお昼ごろ。なので、成田発から最初の現場着まで、なんと48時間の旅なの!!!とりあえず、リュックが重いの。そういや、昨日、日本とポーランドでバレーやってましたね。これは成田の「Yahoo! Cafe」なる無料(!)施設から書き込み。で、いつも思うのであるが・・・JR日暮里駅、山手線から京成の乗り換えんとこにエレベーターもエスカレーターも無いのは、あれは絶対にJRのセコい嫌がらせに違いない。リニアモーターカーの開発よりも、こっちが先だろが!!!と、いうわけで飛行機に置いていかれるので、カチャカチャ遊ぶのもこの辺にしておく。

2005年3月19日土曜日

遅ればせながら

花粉症のようである。「ん、今年は大丈夫かな」なんて思ってたら、今頃になって。鼻水でるでる、目が赤くなるなる。普段からない集中力もさらにガタ落ち。そんで、三連休仕事なし。はぁ、こりゃこりゃ。

2005年3月18日金曜日

民放って、公共のものか?

マジ、アホじゃないの?年寄りが会長だろうと、若い成り上がりが社長だろうと、「かたよりのない番組づくり」なんてあるわけ無いでしょうが。っていうかさ、だから放送局がいくつもあって、視聴者が好きなの選んで見るわけでしょ。極左とか極右の局があってもいいと思うよ。NHKなんてさ、受信料とるのやめて、国の税金で全部まかなって、政府のプロパガンダTVにしちゃえばいいのよ。そうすりゃさ、いま政府がどんなことを考えて、日本をどんな方向に持っていきたいのかってのが一目瞭然でしょ。そんで民放は好きなように言えばいいじゃない。政治家、カネもってんだから、テレ朝が気にくわないんだったら自分で買い取って好きにやれよ。

っていうか

竹島って、韓国にあげちゃえば?それで収まるんなら。もう、向こうの言うとおりにしてあげよう。それで収まるんなら。

2005年3月17日木曜日

そうだよ、ホリエモン

カネがあればなんでもできるのです。がんばってカネためれば、放送局も買えちゃうなんて、夢があると思うけどな。僕はフジテレビってのは「面白ければ何でもいい」っていう姿勢だと思ってたんだけど。こういう今の状況もネタにして楽しませてよ。

2005年3月6日日曜日

向島見番で仕事

某区観光協会主催ツアーのお客さんが昼ごはんを食べてるときの余興です。曲芸の出来はイマイチであった。あやうく茶碗を割るところであった。が、トークはさえていた。さえていたと思う。そう思いたい。いや、マジで盛り上がったのよ。都営浅草駅まで歩いたら、かなりあった。以上。

2005年2月27日日曜日

さっぱりでした

某運送会社の退職者慰労会で余興。普段は披露宴をやってる会場で。いやー、全然でした。曲芸自体はちゃんとできたのよ。めずらしく失敗も少なくて。だのに、だのに・・・見てなかったねー。やっぱ、あれかな。客席の照明は落としてもらえばよかったかな。イタリアで同じような現場でやったときは、必ず客席は暗くしてたね。っていうか、向こうは舞台の照明も暗いんだよねー。会場の担当者も「いやーこれは誰がやっても盛り上がんないでしょー」って慰めてくれたよ。パーティの余興ってのはホント、難しいよね。

2005年2月20日日曜日

そんなにダメかね?

飲み会。後ろ髪が長いのって結構、フツーだと思うけどな。もちろん、フツーじゃないのを狙ってんだけど。どっちやねん。昔の仕事仲間と飲む。すんげぇ久しぶりに会ったコも。僕がいま何やってるか全然知らないわけ。でもなんだか、芸人らしきものをやってるってのは人づてに聞いてるらしい。そんなやつらに「売れねぇ」とか言われりゃ、そりゃ、腹も立ちますわ。別に僕だってサー、そんなに売れるとは思ってないけどサー、そんな、面と向かって「売れねぇ」とかって、言うなよ。マジ、デリケートな時期なんだからさー。サインしてやんないよ、もう。

2005年2月17日木曜日

今日もお稽古

毎週木曜日は区民センターでお稽古なのだ。西塔くん、やっぱり東大のほうがモテルと思うのだが・・・どうよ?

2005年2月16日水曜日

んで、また飲んで

今日は焼肉食い放題。さすがにチョウシがイマイチだったので、控えめに。と思ってたけど、なんだかんだでよく飲んでよく食べたね。あー正月に稼いだ金が~。そろそろ夏の国外逃亡計画を立てねば。

2005年2月15日火曜日

うー気持ち悪い~

飲みすぎです。仙次さんと。ジョナサンから始まって、庄屋、仙次さん行きつけの店。当然電車は無く、後楽園から自宅まで歩いて帰る。けっこうかかった。もう、飲まん。ぜったい飲まん。とりあえず今日は飲まん。

2005年2月14日月曜日

公園でお稽古

毎週月曜日は親方んちの近所の公園でお稽古なのです。寒いのです。2月も半分ですか。

2005年2月13日日曜日

テレビ到着!

親方んちの前のテレビをいただきました。32型ワイドです。ちなみに親方んちの新しいやつは42型プラズマ(むちゃデカイよ)。僕んちの前のやつも29型(ワイドじゃないやつ)だったので、大きさはそれほど感じないね。で、今は狭いうちにテレビが2つ。仙太さんのお友達に引き取ってもらうことになってんだけど・・・マジ、早く取りに来てくれ。じゃないと、捨てちゃうよ。

2005年2月12日土曜日

お稽古

今日は静岡まで出張稽古。自分の稽古じゃなくて、ナマイキにも教えに。仙次さんと二人で。ん~自分が初めて傘廻したときはどんなだったかな~。「不可能に思えたことが可能になったときの喜び」をわかってもらえればと思います。いやー教えるのは難しいね。だって、もう、「廻して!追っかけて!廻して!どんどん廻して!」ってしか言えないもん。ん、僕も負けずに頑張んなきゃ。よし、頑張ろう!とりあえず、今日はビール飲んで寝て。よし、明日から頑張ろう!