2005年7月27日水曜日

マジ、暑いぞ!

これ、ぜったい東京より暑いよ。ユースホステル、暑くて寝れないもん。去年の12月に来たときはあんなに寒かったのに。夏と冬の気温差にビックリよ。

2005年7月26日火曜日

んで、またイタリアへ

サブリミット&鶴岡氏と別れて、電車でミラノに移動。途中ヴェネツィアで乗り換えたときに、「あぁ、イタリアだ」って思ったね。別にイタリアの悪口言いたいワケじゃないけどさ、とりあえず、駅にエレベーターどころかエスカレーターも、それどころかスロープの類も無い。とりあえず、ん~ハッキリ言って、いろんなものがとりあえず、汚い。んでもって、暑い!ミラノってイタリアの中でも都会のイメージがあるけど、とりあえず地下鉄に冷房いれろや!イタリアって、ヨーロッパの先進国っていうよりも、むしろアジアの発展途上国の雰囲気全開なのよね。日本の「置いてある週間ジャンプが黄色くなってるラーメン屋」に入れないタイプの女性には全くお勧めできない旅行先です。ま、さすがに慣れたけどさ。

2005年7月25日月曜日

ここは2日間のみなのよ

昨日会ったニホンジンの若いお母さんが凍らした麦茶を差し入れしてくれました。よく部活に持ってったヤツ。日本の夏を体感したのであった。2日目のクジ運は最悪だったので、おミソな場所しか残ってなかったの。かなり辛い場所もありましたが、最終回は何となくカタチになったので良しとする。ちなみに、ドイツ語圏でのキメ台詞。僕が技を決めるごとに「Klasse!」って言うとお客さんが「Mega klasse!」と返すのです。意味はよく解らんが、おそらく「イカす!チョーイカす!」ってな感じだと思うよ。とりあえず、本日でドイツ語圏でのパフォーマンスは終了。最後に恒例のグループショーがあったのですが、僕は参加せずにビール飲みながらの鑑賞。たまには客として普通に楽しみたいよね。

2005年7月24日日曜日

やっぱり、運って大事ね

ここのやり方は、場所を選ぶ順番も自力で引き当てるので、まぁ、完全に運が試されるわけですな。初日の番号は良かったの。だから、メイン(と思われる場所)を取ったのよ。だけど、あれだね。隣のポイントで同じ時間にどんな芸人が演るかってのも重要なのね。で、思ったのは、現時点での「究極の大道芸」は「高い一輪車の上でトーチ」、だね。日本に帰ったら、倉庫に眠ってる一輪車でさっそく練習することを誓ったのであった。ウソ。ここはリンツと比べると、もう、ホント小さなフェスティバルなので人出もイマイチですが、とりあえず数こなしました。例によって3コマに6回ショー。そして再びサブリミット特製「茹でないソーメン」をご馳走になったのであった。あれ普通に食えますよね。

2005年7月23日土曜日

同じくオーストリア

フィラッハという町に鶴岡氏とともに電車で移動。マジ、小銭、重いよ。参加できるかできないかで最後まで交渉が難航していたサブリミットも合流。このときの連絡に初めてボーダーフォン3GのSMSが役に立ちました。だけど、一通100円は高いよな。ここのフェスティバルはリンツの出演者から一部を選抜?(っていうか希望した人)しておこなわれるのです。ここのマックにヘンテコなチャーハンみたいなのがあったよ。ニホンジン組は怪しのインド料理屋でカンパーイ!写真:山です

2005年7月22日金曜日

早くも最終日

やっぱ、3日間ってのは短いね。この日はイイ場所、取れましたよ!が、雨が降ってきたのよ~。「リンツのフェスティバルは良いぞ!」という評判をたくさんの芸人から聞いていたので、かなり期待してたのに、えー最終日が雨って・・・と思いきや、なんとか持ちなおした!2回目のショーのときに少し雨にやられたけど、その後はむしろ快晴!4コマ4時間なかで8回ショーを慣行。この日は盛り上がった、マジで。ちなみに、通常は投げ銭を紙幣に交換するには、自分でコインラップ(コインチューブ)っていうものに詰めて銀行に持っていくとかしなきゃなんないんだけど、ここのフェスティバルは本部にコイン自動数え機(ま、日本の銀行なら何処にでもあるヤツです。でも、ここのは相当、性能の悪いものでした)があって、その場で紙幣に替えてくれるんです。全部のショーが終わって後片付けもして、かなり手ごたえのある投げ銭袋を抱えて、両替コーナーの列に並んだの。最終日ということもあって、なかなか列が進まないの。二時間くらい待ったね。ファイアーショーの芸人が、これまた相当稼いでたのよ。んでさ、そいつらのゼニを数えてるときに、どうも両替係りの様子がおかしいわけ。そしたらさ、「両替用の紙幣が足りなくなった」っていうのよ。待て、待て、待てーい!!!足りなくなったなら、ウチらガイジンを優先せいんかい!っていうかEU人は札に替えんでもジャラ銭のままチマチマ使えば問題ないでしょうが。そいじゃなくても荷物、重いのにさ、この大量の金属片を抱えて次の町まで移動せいっちゅうんかい。お前のポケットマネーで何とかしろや!と、まぁ、ブチギレたいところではあったのですが、そこは既にヨーロッパ滞在1箇月経過で大人になった仙丸くん、中指を立てることもなく、あっさり諦めました。そしてホテルの部屋で独りニヤニヤしながら勘定したのであった。

2005年7月21日木曜日

ん~

この日は3日間の中で一番最悪の番号なの。よって当然、場所はイマイチ。んで、しゃぁないので、与えられた1コマ1時間の中で2回ショーをすることにする。というのも、これは僕のやり方がまずかったせいもあるんだけど、お客さんがやたらと近くに寄ってくるのよ。どうもマジックだと思う人が多いみたい。だから、観客の輪が小さくなっちゃって、すると当然、人数が限られてくるから、すると当然、ハットの入りも悪いわけですよ。確かにあんまり大きな輪をつくっても分かりづらい芸だとは思うけど。その辺のバランスがね。このフェスティバルのオーガナイザーもケチで、出演交渉の段階で、本来貰えるはずの日本からの飛行機代を「あんた、日本から直接来るんじゃないんでしょ?ドイツから来るんでしょ?じゃ、ドイツからの交通費しか出せないわ。どうしても日本からの飛行機代が欲しいっていうんなら、エントリーさせてあげない」と大幅に値切られたので、意地でも良いショーをして実績を残したいと思っていたんだけどね。んーイマイチ。写真:たぶんリンツで有名な教会

2005年7月20日水曜日

んで、リンツ初日ですが

ここのパフォーマンス・スケジュールはちょっと変わっていて、当日朝9時半に芸人全員が集まって、予め決められた順番に、自分の好きな場所・時間を選んでいくんです。ただ、この「予め決められた順番」ってのがクセモノで、結局、若い番号が指定されていないと自分の番が回ってきたときには、もう「オミソ」な場所しか残ってなかったりするのです。初日は良い番号ではなかったので、イマイチ。っていうかさー、トラム(路面電車)が通常通り運行してる状態の道路で演らせんなよな。お客さんの背中、思いっきりギリギリのところを電車が走ってんの。

2005年7月19日火曜日

あやしの日本食屋がいっぱいです

オマケに何とパチンコ屋!(写真)入ってみなかったけど、これっていわゆるプチ・カジノかしら。んで、この町はランチ食べ放題の店がいっぱいあるの。そのなかから日本食(Made in China)の店をチョイス。もち、スシもあるよ!でも、シャリがデカい、っていうかズッシリ重いの。スシ以外はこりゃ中華ですな。当然といえば当然ですが。値段、忘れちゃったけど、8ユーロくらいじゃなかったかな。でも繁盛してたよ~。サブリミット、鶴岡氏と再び合流。そんでもって、がーまるちょばのお二人も参戦。他にもポーランドやらイタリアやらシンガポールやらで会った芸人さんがいっぱい。天気も良くなったし、明日から頑張るよん。

2005年7月18日月曜日

オーストリアだよん

朝刊に写真が出てた!たださ、いままで載った三紙とも土瓶の曲芸をやってるとこなの。あれって、表情つくってる余裕が無いのよ。「撮ります!」って言ってくれれば、まだ何とかなるんだけどさ、もう、とにかくマヌケな顔に写ってるわけですよ。サブリミット、鶴岡氏は他の町に寄ってくとのことで、単独でリンツ入り。電車で国境越えるとき、パスポートチェック無かったよ。オーストリアは8年前、ウィーンに2週間ほど滞在して以来。基本的に雰囲気はドイツと似てますな。とても機能的です。バスなんかも、バス停とバスが無線でつながってて、次のバスがあと何分で到着するかとかってのが表示されてます。東京でも一部やってますな。例によってユースホステル泊です。4人部屋のドミトリーなんだけど、なんと二泊とも他の宿泊者がいなかったため個室状態でした。そんなこともあるのね。んで、2日連続で一日中雨ですよ。大して外にも出ずにゴロゴロ。写真:オーストリア名物?シュニッツエル

2005年7月17日日曜日

ようやく調子が出てきたと思ったら

もう最終日なのよ。この日は暑かったね~。犬を使った芸をやる人が二組いた。日本の猿回しみたいな感じ。猿回しは欧米では動物虐待ということで非難されるという話を聞いたことがありますが、犬はいいのかしら。しかし、やっぱドイツ人はデカイね。この日は夕方に全てのショーが終了。なんとここのフェスティバルは日本人以外の芸人さんには最終日の晩のホテルがとってないのです。当然、打ち上げのようなものは無し。やっぱり、ドイツ人はケチなのでは?ニホンジンチームだけで乾杯~!写真:ドイツの小便器のこの網は何のため?

2005年7月16日土曜日

さすがに2日目は

土曜日だし盛り上がるでしょ。ただね~、一発目が朝10時(11時だったかな?忘れちゃった)って、早すぎるのよ。ウチらにとってもお客さんにとっても。ようやくフェスティバルらしい雰囲気になってきました!お客さんもそれなりに集まってきた!が、しかーし!ハッキリ言いましょう。ドイツ人はケチです。マジで。それなりに盛り上がってるのにな。んでもって、この日も夜遅くまで働かされて晩メシに間に合わず。サブリミットの部屋で非常食をいただく。何ていうんでしたっけ、あれ、お湯入れただけでゴハンができるやつ。そして、お二人が研究の末に編み出したという「茹でずに作るソーメン」を食す。そのほか機内食のパンやらなんやら、お二人はいっぱい隠し持ってました。満足、満足。明日も朝早いのよ。写真:サブリミット

2005年7月15日金曜日

で、初日です

鶴岡アキラ氏も合流。サブリミット、鶴岡氏とはこの後オーストリアでも一緒なのです。で、バンベルグ初日ですが、平日ということもあるけど、全然盛り上がんねぇ~。っていうか、フェスティバルっていうよりも、ホントに大道芸やってる感じ。なんだかこの町はいちおう観光地のようで、なんだか歴史的に有名な橋があって、その側でやってるんだけど・・・客、いねぇ。一回目はそれでも無理矢理やったけど、二回目は雨でキャンセル。でも正直、キャンセルになってよかったよ。だって、だって、ホントに辛かったのよ。んで、三回目は何故か大きなステージで。まぁまぁ盛り上がる。スタッフの女の子が「ホテルの夕食(ビュッフェ)の時間が終わっちゃう!急いで!」とのことで大慌てで車で送ってくれる。間に合ったけど、ぴり辛チキンウイングしか残ってなかったの・・・。辛いものは大好きなので、山のようにチキンを食らう。んで、当然ビールも飲む。やっぱヴァイセン・ビアですよ!ちなみにサブリミット・ガッツ氏は翌朝、ピリ辛(激辛?)チキンの復讐にあったとのこと。本人いわく「二度、楽しめた」そうです。

2005年7月14日木曜日

バンベルグってとこです

ミュンヘンからドイツの新幹線ICE(写真)で2時間半ほど。さすが、ドイツは違うね。荷物置き場にロックもあるし、いちいち停車駅のアナウンスや電光掲示板があるし。ここの名産に「ラオホ・ビア」っていう燻製ビールがあって、これ、8年前にドイツに来たとき飲んだんだけど、確か「かつお本ダシ麺ツユ」みたいな味がしたんだよね。あらためて飲んでみたけど、やっぱ、カツオだし、きいてました。ここのホテルはいいぞ!何がいいって、ネットにLANでつなぎ放題!サブリミット(注:知らない人のために念のため、日本人のアクロバットチームです)のお二人と合流。とりあえず乾杯~!

2005年7月13日水曜日

ミュンヘンで2日間の休憩

イタリア・ボローニャから深夜特急で移動。なんだか学生時代に利用した大垣行きの電車を思い出したよ。また、若い奴らがさー(って言ってる時点でオレ、オヤジ?)、てんで勝手に席、使って横になりやがってさー。アタマきたから、二席使ってるヤツ等の顔に足裏くっつけて寝てやったよ。やっぱドイツは落ちつくね。スーパー(っていうか、日本でいうところのヨーカドーや西友のようなタイプ)がいっぱいあるし、ビール、美味いし。つっても、1人でビアホールもね、なんだかね。とりあえず、ホフボロイハウス、行きました。これ、例の1リットルジョッキ。

2005年7月9日土曜日

マジ、切れたね

ここのイベントはハンドボールのワールドカップと共催で、なんと日本の夙川学園っていうとこの女子チームが準決勝まで残ってた!で、勝った!写真は決勝進出の瞬間。イマイチ、わかりづらいね。でさー、ここのボスがさー、約束の話し合いの時間に散々遅れた挙句、逆ギレしやがってさー、要するに日本でもアリガチなんだけどさ、こいつら芸人をリスペクトしてないわけよ。「お前ら、タダで何でも何処でも演るんだろ」ってことよ。マジ、これ、日本のアホなイベント主催者にもよくいるタイプね。「カネ、出すよ」っていう向こうからのメールも証拠として見せたのよ。っていうかさ、カネの問題だけじゃないのよ、ホント。「ファック!ブッ殺すぞ、このヤロウ!」って言ってやったね。僕としても、ここまで縺れちゃったからには、しゃあない、早めにドイツに移動するか、と思案の最中に携帯(イタリア用なの)に着信。サブボス?からで「ごめんなさい。ホント、ごめんなさい。あやまります。ウチのボスは今、家庭の問題で色々と・・・」って、知るか!家庭の問題を仕事に持ち込むなっての。んで、なんとかハナシがまとまって一応、っていうか、ちゃんと演りました。が、しかーし、僕は絶対にヤツの名前を忘れません。とっととドイツに移動してビール、飲も。ちなみに、夙川学園、優勝しちゃった!

2005年7月8日金曜日

二時間遅れでボローニャ到着

最初のバスに乗ってから24時間経過。こっから電車でテラモってとこまで。ここのフェスティバルがね、二週間ほど前からさっぱり連絡が途絶えてんだよね。それまではさ、向こうから返信をせっついてくるぐらいだったのに。とりあえず現場到着。結局ポーランドから30時間の大移動。そんで、オフィスに電話したら、もう、さっぱりハナシが通じないのよ。いや言葉が通じないっていう意味じゃなくて、「で、誰?」みたいな。ムチャ暑いしさ~。切れそうになるのを押えて、とりあえず事務所でボスにハナシをつけることに。このボスがさ~、とんだ食わせモンなのよ。いままでボス名義で全部のメールが来てたのよ。英語で。なのに「で、君、何する人?」みたいな。イタリア語で。英語、わかんないって。ようするに、イベントそのものは巨大なのにスタッフの数が足りてなくて、もう、みんなパニック状態なの。とりあえず、明日の朝にもう一度ハナシをすることに。

2005年7月7日木曜日

っていうか飲みすぎた!

やばい!もう10時過ぎ!12時のバスに乗んなきゃいけないのに、とりあえずウンコして、両替して、そんで、そんで、皆への挨拶もそこそこに大慌てでバス停へ。なんとかセーフ。こっからが長いのよ。バスでイタリア・ボローニャまで。途中何度か国境越え。たぶんポーランド-ドイツ-オーストリア-イタリアっていうルートだったと思うんだけど、正直、いまどの国を走ってんのか全然わかんなかったよ。んで、皆はEU人だからパスポートは見せるだけなんだけど、僕のだけ事務所に一旦持ってかれちゃうのよ。やっぱハンコ、押してんのかしら。どっかの国境近くに凄いドライブイン?があったよ。キングギドラみないな巨大なオブジェが三頭くらいあって、あれ、どこの国だったんだろ?雨が強かったのと眠かったのとで、残念ながら写真なし。

2005年7月6日水曜日

Zielona Gora

四都市目です。ここで2日間やって終わり。でも、雨なのよ。やってる最中に降ってきて最悪状態。新聞に出ました!二誌に。なんかポーランド語で僕のことについて書いてあるんだけど、当然わかりません。ここは2日間とも雨で何だか尻ツボミでありましたが、打ち上げ(っていうか毎日が打ち上げ状態なんですけどね)は当たり前のように、日の出まで。

2005年7月4日月曜日

いやースンマセン

移動日の午前中に郵便局に併設してあるネットコーナーでイタリア移動のためのバスチケットをオンライン購入して、いざチケットを印刷しようとしたら、担当の姉ちゃんが「ちょっと待ってて」と言ったっきり、いつまでたっても帰ってこないのよ。もう移動時間なのよ。現地スタッフも「何で客を待たせるんだ。オレは絶対にこの郵便局は二度と使わねぇ」と怒り心頭であるも、印刷しないとクレジット支払済みのチケットがパァになっちゃうので、皆でイライラしながら待つ。いわゆる「お役所仕事」ってやつですわ。なんとか印刷完了。芸人の皆さん、待たせて御免なさい。写真は昼飯。こっちは昼食が1日のメインなんだって。

2005年7月2日土曜日

んで、3都市目

こりゃまた小さい町です。Legnicaってとこ。旧共産圏の匂いが残ってますが、現在再開発の真っ最中って感じ。例によってショーの始めに「誰か有名な日本人を知ってるか?」とお客さんに尋ねたところ、なんと「ハンガーマン!」っていう声が!彼は去年参加して大きなインパクトを残したようです。ん、負けらんねぇ。センマル、センマルと連呼して刷り込み作業。ポーランド語は文法も発音もとても難しいのですが、きちんとした言葉をゆっくりしゃべればカタカタ読みでも通じるようです。僕のショーを見ていた現地芸人から「いつそんなにたくさんのポーランド語を覚えたんだ?!信じらんねぇ」という評価をいただく。他の芸人が「オレは知ってるぜ。日本人の集中力ってのはホント凄いんだ」とかって言ってたけど、っていうか、本に載ってたの、そのまま覚えただけなのよ。ジャパニーズ・ビジネスマン、カネのためなら何でもやりまっせ。ガキと一緒に記念撮影。